スリップウェアを日本で開花させたバーナード・リーチと民芸運動の仲間たちの作品を紹介します。


三浦乾也(1825-1889)

  幕末の鬼才として知られ、仙台藩に依頼されわが国初の西洋式帆船「開成丸」を建造するなど、変革の時代に活躍した。
   一方では陶工として京焼の「尾形乾山」の技法を継承し6世を名のり、小川破笠が考案した嵌入漆法の秘法を独習して独自の技法を編み出した。
   明治に入り向島長命寺境内に陶房を開き、焼き物に専念し多くの名品を製作した。特に小さな珠にいろいろな模様を施した「乾也珠」や精巧な作りの「印籠」が
人気を博した。
   乾也は6世を継ぐが乾山の名を使用しなかったため、後を継いだ唯一の弟子浦野繁吉が6代乾山を名乗ることになる。この浦野繫吉に画家石井拍亭の紹介で弟子入りしたのが

  バーナードリーチと富本憲吉であり乾也の孫弟子にあたる。(乾也は生涯の友、船橋市生まれの画家鈴木鵞湖(下総国金掘村-現在の船橋市)の次男鼎湖(日本画家)を養子に迎える。
    この鼎湖の長男が拍亭で弟は石井鶴三

 


三浦乾也作
  陶胎東海道三段印籠 6.5x1x9cm
(三島 天禄堂銘) 吉田、二川


バーナード・リーチと富本憲吉

「彼は(富本)はユーモアセンスに長けており、ピリッとした小気味よさを好む。

私がこれまで会った誰よりもイギリス人の気質に近いものを持っている。日本人の芸術家ならではの特質、すなわち軽妙、繊細、気高いという、例えて言うならば桜の花のような気質を備えている。」 バーナードリーチ日記より


   彼の代表的な模様の一つに「竹林月夜」がある。これは生まれ育った大和安堵村の風景スケッチをもとに、絵付けの模様として草案したものである。大正5年に作られたこの模様はその後30年以上にわたり、作品の上に描かれてきた。
 

  「リーチとあの家(大和安堵村)の前に座って、どうだ、これを見ていると南京の風景もたくさんだとなるだろう。

    これを一つ模様にしようと思っているんだけれども、早い者が勝ちだと言ったのをおぼえているんです。そうして満月の時にそこを歩いた。それであれをすぐ描いたんです。」 憲吉談話より

 

  [竹林月夜図」富本 作

「色絵飾陶箱」 1936年 富本作(於九谷) 
「風景紋陶板」1934年 バーナードリーチ作

 

 


バーナードリーチと高村光太郎 


1908年ロンドン美術学校で会い、意気投合し親交を深める。

「貴君の陶器には自然科学の力がみなぎっている。どれも貴君そのものである。貴君の存在を感じずにはいられない。作品をみていると、時に微笑み、時に突き刺すような貴君の眼を感じる。そして貴君の声が聞こえた。」  

             高村光太郎からバーナードリーチへの手紙より


 1914年出版の高村光太郎の詩集「道程」の中に「頽廃者より」と「よろこびを告ぐ」の2作がバーナードリーチに捧げられた。
 「頽廃者より」は、画廊経営破綻、北海道移住挫折、精神の病といった光太郎頽廃時の作品で1911年7月「詩歌」に掲載された。

「よろこびを告ぐ」は長沼智恵子との婚約が決まり、頽廃生活からの脱却を宣言した1913年製作された作品(1914年1月「詩歌」掲載)

 



連翹忌(れんぎょうき)

 高村光太郎は戦後岩手県花巻市郊外で隠居生活を送っていたが、十和田湖の記念碑建立を佐藤春夫を介して依頼され、東京のアトリエで製作、

 昭和28年完成し、これが光太郎最後の作品となり、岩手に戻ることなく、昭和31年4月2日没した。葬儀の際、光太郎の好きだった連翹の一枝が棺の上に置かれたことにより毎年4月2日をレンギョウ忌として開催している。

今年は4年ぶりに開催される。

連翹忌

令和5年4月2日 午後5時30分~午後8時

会場 日比谷松本楼

花材
 れんぎょう、きばでまり、ストレリチア、カーネーション
花器
 ピッチャー バーナードリーチ 作


2023年  3月の展示品

2023年3月作品 宮之原謙(1898-1977)

彩盛磁泰山木壺  H26.3xW17.2㎝


宮川香山、板谷波山に師事。 千葉県松戸に窯を作り居住。

新潟県の庵地焼旗野窯を指導。(新潟の焼き物で紹介)

彩盛磁と呼ばれる、優美な色彩と、艶消しの柔らかさを表現した技法の作品を生み出す.


この回をもって月毎の作品紹介を終了して、リーチの交流がある作家、関係作家の紹介をしていきます。


2023年  2月の展示品

バーナードリーチと濱田庄司の鉄絵花瓶

 

  白釉面取鉄絵生器  ℍ27.5xW17.5cm
                                                                          濱田庄司 作
  鉄絵花瓶 H17xW17.2cm
                                                       バーナードリーチ 作


2023年  1月の展示品

白釉盛上注瓶 31.2x19.4㎝
                                                 濱田庄司作

ピッチャー 29x18.4㎝
                                     バーナード・リーチ作


『濱田の人柄は、正直で暖かみがあり、ものの本質を見透かす賢さが備わっていて、頼りがいがある。 彼のものを見る目は、柳や富本と同じように鋭い...
平凡が平凡のままで非凡であるということを驚異の眼で、ありのままの自然のなかに絶えず見出していく人だということになろうか。 濱田はすでに自尊心も羨望の念も超えてしまっている。』バーナード・リーチ


2022年  12月の展示品

河井寛次郎作  白地花扁壺(24x22x12㎝)

河井寛次郎作  白地花絵方壺(22x11x10.5cm)


簡素な形状ながら、躍動感ある文様の美しさは生け花を、また空間を魅力的に演出します。

実用的で暮らしに溶け込むことを意識して造られた作品ですので、実際に花を活けてみました。


2022年  11月の展示品

 鉄辰砂線紋扁壺 21.8x16.6x13

             河井寛次郎 作


 寛次郎の扁壺は「型」に捉われない、自由で、力強い、個性を感じる作品です。この壺に花を活けて、新たな調和を持った 空間が創造出来たらと思います。

 

寛次郎作品6点に活けてありますので、ホームページトップの「陶芸作品と生け花」をご覧ください


2022年  10月の展示品

鶏冠壺

中国遼時代、遊牧民族にとって必需品であった皮製の水袋の形状をした壺(皮嚢壺)です。鶏冠壺の名前は器の形が鶏冠を持ったニワトリの姿を

想定させるところから付いたと言われています。

この器形は遼時代独特で種類も多くあります。香港で白磁の鶏冠壺を求めた時も、緑釉、白釉、褐釉鶏冠壺や動物の乗った鶏冠壺と色々見ることができました。

又、遼の三彩も人気のある陶器です。

この形状がユニークなのか、遊牧民族文化への関心なのか、多くの陶芸家の人たちが独自の鶏冠壺や三彩の作品を残しています。三彩で有名な加藤卓男も特色ある

鶏冠壺を作成しています。


写真

白磁鶏冠壺  遼時代

緑釉鶏冠壺  舩木研兒作

三彩鶏冠壺  藻岩窯

鶏冠壺(青緑) 藻岩窯

青釉壺    加藤卓男


2022年 9月の展示品

青磁作品

  青磁繍花花瓶  13.4x19.5㎝(高台内に印銘「鐘渓窯)

  河井寛次郎は1920年京都五条坂にある5代清水六兵衛の窯を譲り受け「鐘渓窯」と名付けました。
「初期の頃は中国宋時代の焼き物に憧憬が強く、同様の作品を多く残しています。特に釉薬の研究は有名で深みのある青磁も見事に再現しています。

 

 青磁鳳凰舟  10x21x12㎝

バーナードリーチの師でもある宮川香山の作で明治時代、超絶技巧の陶磁器として数々の賞を取り、造形物の焼き物を多く制作しています。


2022年 8月の展示品

今月はガラス工芸作品を展示します。

ガラス工芸の代表的作家、藤田恭平(1921-2004)は「市川市」に住んでいて名誉市民でもあり、ガラス工芸作家として初めての文化勲章受章者です。

イタリアで学んだ色ガラスに金箔を混ぜた「飾筥」で独自の分野を開拓します。

優しい輝き、色合いは「ふじたのはこ」と言われ高い評価を受けています。ベネチアングラスで有名なイタリアのムラーノ島の工房で多くの作品を制作しました。

                                                   
藤田恭平

イタリアムラーノ島のベネチアングラス
 15,6世紀ころからヨーロッパ貴族の憧れだった「レース」、そのレース紋様をガラスの中に封じ込めることに成功したのがムラーノ島の
 ガラス工芸職人でした。その伝統技術は門外不出で今も引き継がれています。今は製法は分かっていますが高い技術が必要で美しいレース模様を出すのは難しいようです。
 20年以上前になりますが、ムラーノ島で作られたレース紋様のベネチアングラスに魅了され、苦労して手に入れました。

ヴェネチアングラス レース模様鉢 18㎝幅x24㎝高さ
ヴェネチアングラス  ワイングラス

ガラス工芸作家 舩木倭帆(しずほ)

島根県松江市の布志名焼窯元の家に生まれました。舩木窯4代目の父道忠と交流を持った柳、濱田、河井、リーチたちが度々滞在する環境の中で育ちます。

兄、研兒はリーチの指導を受け、多くのスリップウェア作品を残し陶芸作家として活躍しました。

倭帆は日本のガラス素材に関心を持ちガラス工芸の道に進みます。使い手の心を動かす美しさ「用の美」をガラスの世界で表現しました。

日本人の自然風土がもたらす美をガラスに求め、普段使いの製品を自己の信念をもって創作しました。

倭帆が生み出す柔らかな器は、父や兄の世界と同じく作家的個性を持った芸術作品です。


首線巻瓶  15㎝幅x24㎝高

四つ巴皿  20㎝幅


2022年 7月の展示品

前回は富本憲吉に師事した人間国宝作家、近藤悠三でした。
今回も富本に師事した二人の人間国宝作家の紹介です。

 

藤本能道(よしみち)1919年生

富本の助手を務めたのち,師の模倣から脱却しようと前衛陶芸に傾倒しますが、師の死後、本格的に色絵磁器の制作を再開します。

そして「釉描加彩」(磁器釉をかけた器に色釉で文様を書き本焼き、さらに上絵の具を加えて焼く技法)の絵画的な表現が評価され

「色絵磁器」の人間国宝となりました。富本と同じく独創性を求め挑戦してきた作家です。


色絵えにしだ図 陶筥

 
田村耕一 1918年生

黒と黄褐色の鉄釉を用いて、ろう抜き、筒描、刷毛目の上に筆描、等、独創的な表現が高く評価され

「鉄絵陶器」で人間国宝になりました。

ほたる袋などの草花紋様が有名です。個人的には重厚さのある青磁釉が好きです。


黒釉花器 

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2022年 6月の展示品

 
   近藤悠三    梅笹象嵌花瓶   H36.7xW31.7cm

  絵画的表現の染付で人間国宝になった近藤ですが、初期作品時代は象嵌青磁、飴釉、瑠璃釉等、多様な陶磁器手法に 挑戦していました。 この作品は15回帝展入選作品で、独創性には欠けますが卓越した轆轤技術と丁寧な象嵌技法で作成されています。

  天才的な資質を持つ富本、河井、濱田と違い、努力の人であった近藤が富本を師に持ち、指導を仰いだことによって、近藤スタイルを確立、 陶芸家としての生涯を歩んで来られたように思います。

 

  飴釉鉢  28x10㎝
  山染付花瓶  20x18cm

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2022年 5月の展示品

扁壺

益子で取れる柿釉を使った濱田庄司の扁壺と数多くの釉薬の研究で知られる河井寛次郎の辰砂釉扁壺

どちらも特色ある作品です

柿釉抜絵扁壺 22.6x16x8.8㎝ 
濱田庄司作

辰砂筒描扁壺 16.4x24.2x12.8cm
河井寛次郎作

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2022年 4月の展示品

 三扁壺

   金城次郎、島岡達三、そして二人の師である濱田庄司の扁壺です。

 

   1925年濱田は壺屋の陶工、新垣栄徳に師事し沖縄の伝統技法を学びます。1930年まで制作の拠点としました。
   金城次郎も同年、新垣栄徳の新垣窯に入門し、その後1946年金城窯を設立、濱田、河井寛次郎の指導を受けます。
   一方で島岡達三は学校の先輩だった濱田を訪ね沖縄を視察、翌年壺屋での修行を決めるが出征のため断念し、

1946年復員後すぐに濱田の門下に入りました。
ただそれだけの話です。

 

掛合釉扁壺 21x16.7x13.5  濱田庄司作
地釉象嵌縄文扁壺 20x15x13 島岡達三作
海老紋扁壺  25x18.3x14.5 金城次郎作

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2022年 3月の展示品

 2022年1月25日瀧田項一さんが亡くなられました。94歳でした。
 瀧田さんは富本憲吉に学び、濱田庄司のもとで3年修業後、陶磁器の窯があった会津本郷に築窯します。
 柳宗悦、濱田の勧めでパキスタンの美術大学の講師に招聘され、ドイツで個展も開きます。
 その後、出生地の栃木県那須に窯を移し、また沖縄県立芸術大学の教授として10年間指導をしました。沖縄には特別な愛着があったといいます。
 濱田の元を離れてからは富本に習った陶磁器の道へ進み動植物のデザイン、染付、白磁で独自の世界を築きました。

 作品は瀧田項一さんの陶箱と河井寛次郎の陶箱です(大きさを示すため北出不二雄の作品を並べました)
 金彩四方繋紋陶匣 23.8x14.8x12㎝  瀧田項一
 辰砂呉須菱花筥  18.2x18x14.3cm  河井寛次郎

                       *写真クリックで拡大します


2022年 2月の展示品

バーナードリーチのエッチング作品 10cmx15cm

 ロンドン美術学校でエッチングを学び1909年来日、エッチング教室を通して多くの交友関係を築く。
 陶芸家として有名になるがエッチングの作品も評価は高い。この作品の場所は手賀沼でしょうか?
 リーチ独特の温和な雰囲気のある作品です。

舩木研兒
白釉鉄絵楕円皿  30x25x3cm

 昭和42年研修のためリーチ工房に行く途中の香港で滞船中にスケッチした船住民の地区の絵。
 香港は渡し船で有名ですが船住民の船も行き来していました。
 アプレイチャウからアバディーンを行き来しているサンパン船か。九竜半島と香港島を結ぶ渡し船は20年ぐらい前に
 何度か利用しているがレトロな感じで人気がありましたが水上生活者の行き交う地域には行っていません。
 観光目的で渡し船が出ていたと聞き残念でした。



2022年 1月の展示品


バーナードリーチと岸田劉生はリーチ来日当時から交友が始まり、椿貞雄も交えてお互い影響を与えました。

1920リーチが帰国する際には椿の自宅と劉生宅で壮行会を行っています。

その後も連絡を取り合いリーチはイギリスで劉生展の企画も立てていましたが残念なことに1929年劉生は亡くなりました。

この「椿花」の作品は未完で武者小路実篤の箱書が付いています。

「椿花」 軸装  岸田劉生

箱書 「劉生 未完絶筆 椿花」 武者小路実篤

青白磁しのぎ鉢(幅22cm、高さ13㎝) バーナードリーチ



12月の展示品

浜田庄司と島岡達三

島岡達三は1940年に浜田庄司をを訪ねて弟子入り、浜田の技術を習得していきます。

又、浜田の製作処点だった沖縄にも訪問を重ねています。

この作品は同じ流し描きという技法を用いた皿で、文様は沖縄の器に良く描かれる

魚紋でしょうか。


白釉象嵌流し紋皿  28㎝(島岡達三作)

青釉白黒流描角皿  27㎝x27㎝(浜田庄司作)


11月の展示品

鉄絵海鼠釉方壺  20x20x23cm

武内晴二郎(1921-79)

太原美術家の初代館長の次男として岡山に生まれ多くの美術品に囲まれて育ちました。

学徒動員で入隊,戦傷を受け左腕を失う。復員後倉敷で作陶。

柳、河井、濱田の影響を受ける。早くからスリップウェアの研究に取り組みます。

李朝の白磁、中国、ペルシャ、アメリカンインディアン、西欧の陶器に心を惹かれました。

濱田は作品を「目で作った」と評しています。


刷毛目大皿 39㎝

太田熊雄(1912x1992)

小石原焼の第一人者、柳、リーチが作品の美しさに感嘆しました。

大らかさ、素朴さ、熟練の技術、誠実さ、自然な生活態度、謙虚さが感じられるといってます。

特に刷毛目は難しく線の動の奥に静かさを備えていて、見る者の心に響きます。


2作品とも何の知識も入れずに見ていただきたい作品ですが。



10月の展示品

今回は鳥取県と兵庫県

鳥取県は民藝家吉田璋也、柳、リーチ等の活躍により新作民芸を作り現在に至っています。

丹波篠山の丹窓窯は6代目丹窓氏が柳、リーチと知り合い、7代目の茂良氏がイギリスのリーチ工房で修業の後

スリップウェアの技術を身に着けて制作を始めました。

スリップウェアの第一人者といわれる柴田雅章氏も丹波篠山で作陶しています。生田和孝氏(吉田璋也影響を受けた陶工)に師事

又,前野直史は清水俊彦氏(河井寛次郎の弟子で、生田和孝氏に師事)に師事し、現在京都で作陶しています。


鳥取で活躍される作家石原幸二氏(山根窯)

スリップウェア長角鉢 14x28

丹窓窯

スリップウェア皿  D24

スリップウェア四角皿  23x16

柴田雅章氏

スリップウェア皿 D14

前野直史氏

スリップウェア皿 D20,D14


9月の展示品

民芸運動ゆかりの窯場(島根県)

出西窯 島根県出雲市

1947年5人の青年によって創業、1950年河井寛次郎を迎え指導を受ける。

柳、濱田、リーチたちの民芸運動推進者の指導を受け、実用の素朴で美しい暮らしの道具としての

陶器の作成を目指す。柳は最後まで出西窯のことを気にかけていたといいます。

1  スリップウェア大皿(39cm)

2  モーニングカップ(リーチ指導の指置付)


湯町窯 島根県出雲市玉湯町

大正11年開窯、福間貴士氏が民芸運動に参加し、リーチ直伝のエッグベーカー,指置の付いたコーヒーカップ等、

独特の黄釉を使った作品を作る


1  7寸スリップ皿

2  エッグベーカー

3  マグカップ

8月の展示品

柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎、バーナードリーチが中心となって、1931年より各地方の窯元を 観察、指導のため巡回しました。代表的な窯元の作品を紹介します。

今回は島根県布志名焼の舩木窯

300年続く古窯、明治大正時代にフランスリモージュ風の輸出向け陶器を製作していましたが

4代目の舩木道忠の時に個人作家の道へ進み民芸運動の作家たちと交流が始まり、島根県が民芸運動の処点となりました。

布志名焼黄釉を完成させ島根県無形文化財保持者になっています。

5代目舩木研兒はイギリスに渡りリーチの窯で4年間の修行をしてスリップウェアの技術を習得、シンプルな造形と絵画的模様が特色で、

釉薬の研究にも力を注ぎました。

6代目伸児さんは祖父、父の伝統を引き継ぎ緑釉や黄釉のスリップウェアの作品等、独自の造形と意匠を生み出しています。

明るくモダンで温かみのある作品は高い人気を得ています。


舩木窯はリーチの制作処点であった為多くの作家が訪れましたが、洋風でモダンな作風は必ずしも民芸運動に沿ったものではありません。

7月の展示品

7月の作品は河井寛次郎の大鉢と濱田庄司の中鉢です。

京都の陶芸試験場で釉薬の研究をした時代からともに活動
してきた二人。 それぞれ独自の世界を作り出した作品を比べて鑑賞して
いただければと思います。 草花絵大鉢 38㎝  河井寛次

 

赤絵丸紋角鉢 26cmX26cmX7cm    濱田庄司

6月の展示品

今月は緊急事態宣言が出されている沖縄を応援のため沖縄初の人間国宝ー金城次郎(1912-2004)を展示します

民芸運動を展開していた濱田庄司、河井寛次郎の指導を受けて「壺屋焼」の発展に努め「琉球陶器」技能保持者(人間国宝)になりました。

「笑う魚」として有名な魚紋や海老紋が多い。


1  海老魚紋扁壺 H25.4x18.3x7.7  金城次郎

2  琉球窯赤絵蓋物 H7.8xW7.7    濱田庄司

3  海老魚紋抱瓶  H19.1x26.8   金城次郎

濱田庄司  大正13年から壺屋で修業、壺屋の伝統技法を研究、特に「赤絵」には特別の魅力を感じていたそうです。

4 魚紋赤絵六角皿  30cm 新垣製陶所

濱田の師である新垣栄徳の息子栄三郎の新垣製陶所の作品(栄三郎の息子さん)

新垣製陶所にはバーナードリーチも滞在して制作をしています。


5月の展示品

富本憲吉が命名した九谷北出窯 「青泉窯」

昭和11年富本は色絵磁器の技法研究のため九谷の北出塔次郎の窯を訪れ滞在し,塔次郎への指導とともに 制作活動もしました。

 又、この北出窯を「青泉窯」と命名し、その後、不二雄、昂太郎、博嗣さんへと継承されて来ました。
「ラヴィータ」も博嗣さんとは良いお付き合いさせて頂き大変感謝しています。数年前に窯を閉じていますが、現代九谷の先駆的存在として

多大な影響を与えてきた「青泉窯」の再興を願っています。
富本の四弁花紋も「青泉窯」で完成させ、「色絵磁器」として人間国宝になった過程に「青泉窯」は無くてはならない存在でした。

北出塔次郎
色絵松竹梅花瓶 28x21cm

色絵花鳥図花瓶 36x15cm

富本憲吉
「竹林月夜」画額
竹林月夜は富本が好んで使用した模様

 

「青泉窯」3代 陶箱
塔次郎,不二雄、昂太郎


4月の展示品

棟方志功と河井寛次郎
1936年の国画会に出展した棟方の作品 大和し美し が柳、浜田、河井寛次郎の
目にとまり交流が始まります。そして共に民芸運動を広めて行くことになります。
20世紀を代表する巨匠の棟方ですが、その作品の背景にある仏教思想には師と仰
ぐ河井寛次郎の影響を多大に受けていると言われています。

棟方志功
「鐘渓頌」より 祭巴の柵 39x54.4cm 1945年 木版
戦後初めて手掛けた大作シリーズ。

河井寛次郎の京都五条坂の「鐘渓窯」の名をもらい、尊敬の気持ちをもって制作
された作品。24枚シリーズは仏者、羅漢、菩薩を表現しています。
本作品はその一作です。

河井寛次郎

 流し描鉢 W32.2xH4.2 スリップウェア
 
 繍花三彩㿻 W18.8xH6.2 鐘渓窯
*
鐘渓窯・・・掻き落し、貼り付け技法を用いて刺繍のように浮き出します

棟方志功
 波紋皿 D38cm (掻き落し)


3月の展示品

白磁染付芍薬紋花器 (H28.4xW26.3)   富本憲吉 1928年作  

「オリジナル模様の追求の苦しみ」「リーチの不在」「様々な生活の困難さ」奈良の生活は楽ではなっかった。
  再出発を期して1926年に東京の祖師谷に転居し窯を作る。そして1928年初釜に成功する。しかし冬場が作成できず、
  翌年から地方の窯場を訪れ絵図けだけをするようになる。本作品は富本一人で全行程を作成したものです。

 

染付壺画賛陶板 (W17.8xW17.9)   富本憲吉  1936年作  

  リーチ帰国後、柳宗悦と交流が盛んだったが意見の相違でぶつかり、民芸運動の作家たちとも距離ができる。また、1934年リーチ再来日で再会したが、
   二人の考え方に差が生じていること、作品のスタイル、方向性のの違いに気付き溝ができ落胆、悲しむ。1935年リーチ帰国。
   この陶板は翌年九谷で製作されたものと推測されます。
  「わが心 はかなき心 壺に似る つめたく光り こわれ易き」

白釉櫛目花瓶 (H24xW11.9)  バーナード・リーチ 1950年代作

1954年リーチ来日、富本と再会、二人は素直に喜び二人の談話企画も行われ、一生の友であることを確認しあい 涙する。

1954年緑釉櫛目水差が大分県小鹿田で製作されています。

*下の画像はクリックで拡大します。



2月の展示品

 獅子絵大鉢 (43.7㎝) 舩木研兒 写真左

 

 釉風景文陶板 (20×24㎝) バーナードリーチ 写真中央

 

 釉楕円鉢 (30×36㎝) 船木道忠 写真右

 

 1934年来日したバーナードリーチは、浜田庄司、河井寛次郎、富本憲吉、船木道忠の窯で作陶しています。展示のリーチの作品は布志名の船木窯で制作されたものです。

 舩木研兒氏は浜田に師事、1967年セントアイヴィスのリーチ工房で修行。スリップウェアの技法を確立しました。

 イギリスのヴィクトリアアルバート美術館にその作品がコレクションされています。

 

 

 


*下の画像はクリックで拡大します。


1月の展示品

イギリススリップウェア(18世紀~19世紀初頭)      写真左

 

スリップウェア長鉢 舩木研兒(1927~2015)作 写真右

 

 舩木研兒さんはバーナードリーチがよく滞在した布志名の作家で英国セントアイヴィス(St Ives)へ行きリーチの指導を受けた日本を代表するスリップウェアの作家です。両作品とも今では余り使われていない低火度釉の鉛釉により、暖かみのある作品になっています。